本を読んだ後って、たまに無償にポテチが食べたくなる。何だか本への集中力を一気に解放する儀式みたいだ。
私が普段ポテチを食べるのは2週間に1度あるかないか。特に自然派をきどっているわけではないのだが、添加物系はあまり好んで食さない。こうして添加物を好まない食生活になってから、私は添加物の威力をより明確に知ることになった。自炊の割合が高くなるにつれ、この感覚を分かりやすく感じるようになったのだが、やっぱり添加物って身体にいい影響を与えていないであろうことがよく分かる。
たまに外で買ったお弁当を食べた時なんて、もう、すぐだ。その日は家の食事と違い、何故か外でかなりの早さで食べてしまった理由もあるのかもしれないが、食後数分、私の胃はわずかに悲鳴をあげた。うっ。久しぶりのキリキリとした痛みは意外にこたえるものだった。
それまで、さほど食生活を気にしていなかった頃は、この胃の痛みによく出くわした。これ、地味に痛くて何とも憂鬱なのですよね。さらに私の場合、痛みの時間が長いことが多かったから、結構きつくて。
添加物って手軽さのため、とか、趣向性を高めるため、とかで入れられるのだと思うけれど、それで身体によくない影響があっては元も子もないよね。目新しいものより、本当に身体を考えた食事が世に広がればうれしいな。
私の身体と添加物と
子供パワーで充電中
子供と遊ぶのって大好き。もう、全力で遊ぶ感じを押し付けてくる、あの無邪気さがたまらなくいい。友達の子供なんて、もう、感覚的には自分の子供と同じ。私に子供はいないけれど、もう十分過ぎるほどに満たされている。自分の子供となったらまた全然かわいさが違うよ、そう言う友人は多いけれど、私にはもうその感覚さえも分かってしまえる気さえする。
子供ってわかりやすいんだよね。この人は遊んでくれそう、とかそういうのをすぐに見抜く。同レベルだと気付かれるのか(!?)割とすぐになつかれる私は、いつのその感じに頬がほころぶ。パワー有り余る子供の相手は時に疲れるが、私にとっては不思議とパワーの源にもなりえる。
子供との遊びに恥じらいはいらない。恥じていては、子供の心はつかめない。逆に言えば、私にはそこの辺りの恥じらいがないからいいのだろうな。誰に見られようがお構いなし。全力で遊んでしまう。そして、またパワーを得る。ありがとう、子供パワー。
高校時代からの友人の子供は男の子。仲がいい友人だということもあるが、とにかくかわいい。まだ一度しか会ったことはないが、年賀状の写真で成長を眺められるのが最高に楽しみで。傍からみたら、きっと親戚だと勘違いされるだろう。その位、愛情がわいて仕方がない。今度久しぶりに会えたらいいな。
花の声
花の写真集は大切な宝物。私は、花が好き。でも、家に飾るのは好きではない。公園とか道に咲く花を眺めていられたならそれで十分だ。家に飾るのが好きではないことには理由があって、それは、切られた花をみるのが好きではないから。ならば、鉢植えがあれば、と思うかもしれないが、それも何だか窮屈そうで好まない。
花は、限りなく自然に咲いている姿が大好き。変に薬だとかを使って生かされている花をみていると、何だかかわいそうになってしまう。少しでも長く、そんな人のエゴは自然には似合わないと感じる。
私の写メには、9割自然の写真が収められている。見返してみると、やっぱり自分にとって違和感があるものは一つ写っていない。何より大切なのは、私はどう感じるかなのだけれど、やはり花が自然と喜んでいるような写真が多いと感じる。自然の力を鮮明に感じるようになって以来、こうした感覚にはさらに敏感になって、もはや植物と会話が出来る、そんな話には、全く違和感がない。というより、もう自分でも出来ていると感じる。
自然の近くにいると、何となく喉が渇いている植物が分かる。これは上手く説明は出来ないけれど、でも、確かに感じるのだ。そして、同時に私も喉が渇く。自然は全てとつながっている。だから、本当は不思議なことは何もなく、ごく当たり前の感覚なのかもしれない。
愛しき化けモノ!?
私は本の中でも特に小説とエッセイを好む。日々大抵この種は持ち歩いていて、数冊持つというこの感じ、本好きの人には結構多いのではないでしょうか。気分によって読みたい本は違うから、出来ればバランス良く揃えておきたい。私これ、毎回かなり迷うのです。もうそれは賭け位の気合の入り様で、いざ出掛けて「あー今日はあの子だったかな」なんて事はざら。さらにこんな時には少し困った事もあって。それは、私は究極に分かりやすい性格なので、違うと思った本は一向に頭に入ってこないという事。せっかく持ってきたのだし、と無理やり読み進めようとしたって結局は上の空なのです。そんなこんなで最近ようやくこんな自分の性に降参し始めた私は、少しずつ状況に素直に対処出来るお利口さんになりました、とさ。(大げさ!?)でも流れに沿わないってやっぱり自然ではないな、そんな事を身体で素直に感じたのです。また一つ成長。感謝。さて。今日はこの「流れに沿う」という事から少し広げたく。私はある日、ふとこんな雰囲気の文章を目にしました。「身体はコントロールをしなければ快調」。これ、始めは何となく流して読んだのだけれど、でも私の中できっと何かを感じたのでしょうね。ささっとメモに取りました。いつも気になる事は書きとめていて、この時もいつものよくある流れの一つに過ぎないといった感じで。でも、そんな生活を続けているとこんな事ってありませんか?こうして何気なく綴った言葉がある日突然「化ける」、瞬間。自分の中で完全に腑に落ちる、というか。私の中ではこの感じ、ごくごくたまにあって、年にほんの数回もあれば上等。(1度でもあれば最高)それ程になかなか経験できない貴重なものなのですね。で、何が言いたいのかというと、この言葉がある日突然その愛おしい機会の一つに加わる事となったのです。これって本当に感動。もうまさに、目から鱗!で本当に落ちた鱗を探したくなる程。(いや、本当に)これまで体験した「化け方」でも今回のこの感動はかなり大きなものでした。こうした日々の中できっとその人らしさって確かに築かれてゆくのかもしれませんね。
私がペンを持つ理由
お気に入りのペンがある。今日もこのペンでさらっと日記を走り書き、とここ数カ月の私の大切な相棒だ。ペンって結構無くしません?あまりにお手軽なものは私には少し緊張が足りないらしく、今のペンには2千円程出したかな。このペン、使えば使う程にイイ感じになる材質らしく、その程良い緊張感も相まって今も私の元を離れないでいてくれるので、これからの使い込んだ感の訪れが楽しみで。こういうささやかな楽しみってすごく好き。人には気付かれなくてもいい。私だけの秘密だと言わんばかりにふとほくそ笑む(!?)この感じがたまらない。思えばペンは昔から私にとっての良き相棒だった。本好きな人は結構書く事も好きだったりするのだろうか。私はペンがbagに入っているといつも何となく安心する。こう、ただ単に便利だからとか必要だからとかそんな類で持つのではなく、もっと心に近い存在、というか。どうしてかな。書くってやっぱり心とダイレクトにつながり易いからだろうか。うーん。今こうして書いてみて改めて気が付いた。今日も新たな発見。感謝。あ。さらに思い出したが、私は中学生の時に同性2人と交換日記をしていた。(2人別々に)我が中学には変わった風習があって、入学式が終わって間もない時期に、先輩が交換日記の相手を探すべく新入生の教室へとスカウトに訪れる。(改めて考えても珍しい事よね。今そんな学校ってある?)私はスカウトされたかって?はい。結構なヤンキー感満載の先輩から目出たくスカウトされました。やれ、どの先輩がかっこいい、だのこの先生は要注意!だとか日々のあれこれを結構楽しくやり取りしていたと思う。あー、そうなのかもしれない。私の「書きモノ好き」は、こんな甘酸っぱい楽しい思い出がルーツなのかもしれないな。私はこれからも愛しいペンと共に人生を行くだろう。
私の黒い相棒!?
私には欠かさず持ち歩いている食べ物がある。あなたもbagに入れておくと安心、そんな食べ物ってありませんか。私にとってのそれはチョコレート、で。いつの間にか自然とそうなったのだけれど、今では私の立派な相棒です。まぁ無くても差して問題は無いけれど、いざ入っていると、見つけた瞬間やっぱりいつもうれしいのですよね。大抵いつも入れているはずなのに、毎回忘れた様に思い出しては、ふと視線の先にチョコがチョコっと(お。)あらわれた日にはもういつも頬のほころびが止まらない。我ながら、この飽きのこないルーティーンには感心します。(何て単純。何てお得感満載。)そんな私の相棒の相棒(ややこし)、いわゆるチョコレートのお供になりやすいシチュエーションが、私にとっては小説だとかを読んでいる時。特に「も~頭使っちゃってます!」位のグルグルさ加減の時には結構な頻度で相棒になります。(日本語おかしい)ここ最近、私は「自分の身体と向き合う」そんな感覚をようやく掴み始めてきたのだけれど、中でもこの「甘いものはリラックスする」感の実感の加減が半端では無くて。あ、これは珈琲のスメル(お。)にも言えるけれど、もう、香った瞬間なんだよね。香りもダイレクトに五感に響くとかでよく話題になるけれど、感覚に敏感になればなる程「あ~これね~」ってしみじみと感じられる様になって。さらにこの感じが分かり始めると、結構生きやすくなるという事も分かりました。こう、身体が求めてきちゃう、そんな感じがありありと分かるのです。だからあらゆる事に対処もしやすくなり。こんな事まで気付かせてくれてありがとう。私の愛し、黒き相棒。